同窓会

沿革

 母校の創立者津田梅子は、1900年良妻賢母が主流を占める時代の中で、高度な知識と豊かな人間性を兼ね備え、自ら考える力を持つ女性を育てるという革新的な理想を掲げ、質の高い教育によって女性の未来を開くために、私塾「女子英学塾」を生徒わずか10名で開校しました。そして、我が同窓会の前身女子英学塾同窓会は、1905年、女子英学塾の第1回,第2回の卒業生が集まり、母校の援助を目的として創設され、その発会式は大山巌侯爵邸内で行われました。

 津田塾大学同窓会は、会員相互の親睦を深め、知識の向上を図るとともに、母校の隆盛に力を尽くし、社会に貢献することを目的としており、社会のいろいろな分野で活躍された先輩方をはじめ、大勢の同窓生によって支えられ発展し、活動を続けてきた長い歴史があります。そして、同窓会は、母校が学生の個性を重んじ質の高い少人数教育を貫くことができるよう願って、これまで多くの奉仕と援助をして参りました。草創期における母塾五番町の敷地の取得をはじめとする莫大な支援の繰り返し、関東大震災後のさまざまな支援事業、第2次大戦後大学昇格前後の援助及びその継続のためのツールとしての津田英語会の設立など、枚挙に暇がありません。

 1947年には津田英語会と津田スクール・オヴ・ビズネスを経営する財団法人津田塾同窓会となり、その本拠を置く基本的な財産として、千駄ヶ谷の土地を購入取得しました。1974年に(財)津田塾同窓会は、本来の上記の目的に専念する任意団体の津田塾同窓会と各種学校を経営する財団法人津田塾会の2つの組織に分離しました。財団法人津田塾会は、戦後日本社会における実用英語教育等に一時代を画す絶大な貢献をしたのですが、時代の移り変わりとともにその使命を終え、2008年3月をもって解散し、土地建物をはじめとするすべての財産を大学に寄付してその幕を閉じました。 現在、この土地は、大学の「千駄ヶ谷キャンパス」と称され、津田ホールとオープンキャンパスが運営されております。 同窓会は、引き続きその津田ホール2Fに本部を置き、国内25支部、海外9支部を擁し、活動を続けてまいりました。

 同窓会は、こうして100年余にわたり、母校愛と津田スピリットに溢れた同窓生により支えられてまいりました。そして、価値観が多様化し、社会構造が激変しグローバル化する中、同窓会は、未来に向けて新しい時代に即応した形での活動を志向すべく、2014年4月、一般社団法人津田塾大学同窓会として再び法人化し、母校に対する貢献と会員サービスのため、さらには新たな社会貢献をも見据えて努力を続けております。

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